菊池川流域には、二千年にわたる米作りによる大地の記憶が刻まれている。
平地には古代から受け継がれた条里、山間には高地での米作りを可能にした
井手と棚田、そして海辺には広大な耕作地を生み出した干拓。
菊池川流域は古代から現代におよぶ米作り文化の縮図であり、
古代から受け継がれる人々の営みが有形・無形の文化として息づく。
その文化的景観や米作りがもたらした芸能・食文化に出会える稀有な場所である。
九州のカルデラを代表する阿蘇山は、9万年前日本最大級のカルデラ噴火があった。巨大噴火の跡には東西18キロ、南北25キロもの巨大なカルデラが出現した。火山噴火は新しい土地を生みだし、水資源に富み、そこに残された豊かな自然は人々に有形無形の恵みを与えてきた。現在の菊池川流域の土地も、阿蘇山から流れ出た火砕流が冷やされ現在の菊池川の周辺を形成する肥沃な土地が形成されたといわれている。
いつ・誰が・何のためにつくられたのか、手掛りとなる文献や言い伝えは残されていない。トンカラリン江田船山古墳のある清原台地に存在する。全長464.6 メートルにおよぶ自然の地割れを利用した長大な隧道遺跡であり石を組んだ通路や階段を構成している場所が混在している。邪馬台国の卑弥呼の祭祀施設の一部であるとかいわれたが遺構建造の真の目的や用途は判明していない。
江田船山古墳は熊本県玉名郡和水町江田の菊池川沿いの清原河岸段丘上に築かれた前方後円墳。後円部に直葬された大型の家形石棺から多数の出土品が発見されすべて国宝に指定された。出土された銀錯銘大刀には75 字の銘文が刻まれており、当時の大和朝廷の覇権が大和を遠く離れた菊池川中流域を含む日本全土におよんでいたことを想像させる。
菊池川は、阿蘇と有明海を結び、山から湧き出たミネラルと海からのミネラルをゆったりとした流れに乗せて流域に恵みを与えている。山海のミネラルは、豊かな食文化を育み、温泉や幻想的な菊池渓谷などの景観とともに、人々が健康に豊かに生きるために必要な心のミネラルをもたらしてくれる。 連綿と続く人々の営みが結んできた、水の恵みをめぐることができる日本の原風景。
古代から脈々と続けられてきた肥後米の米作りは、江戸時代堂島米会所において、穂増(米の品種)をもって「天下第一の米」と高い評価をうけて以来の熊本は肥後米の中心産地として発展していった。将軍の御供米(おくま)(神仏に捧げるお米)には肥後米が用いられ、大坂では千両役者や横綱へのお祝い米として「肥後米進上」という立札をつけて贈られていた。市場でひろく流通していた有名な米だったが、平民の間でも寿司米として大切に扱われ「肥後米に匹敵する米はない」と言われるほど、高い評価を受けていた。その後「西の肥後米、東の加賀米」と称されるようになり肥後米は、日本の米相場を左右するほど多くの人々に食べられるようになった。